自己主張で頭がいっぱい~性格診断での自分の回答に驚愕

ASD:自閉症スペクトラム障害(アスペルガー症候群を含む)と診断された検査(WAISⅢ)を受けて、その結果について、メンタルクリニックの臨床心理士さんのカウンセリングを受けました。

検査の質問に対する僕の 回答は我ながら驚愕でした。解説されて初めて自分自身に気づきました。

僕は自己主張で頭がいっぱいになりやすかったのです。

砂浜としんしん

驚愕の回答

問われた質問はこんな感じでした。

「歴史を学ぶことが重要なのはなぜでしょうか?」

僕の答えは

「受験の科目になっているから」と強くきっぱり言い切って以上終わり。

他にありませんかと言われても「ありません!」で以下沈黙。。

後々から気づいたのは、「学ぶ」のは受験生だけではないのだし、大河ドラマや思想対立による紛争のニュースなど、普段の生活の中でも「背景に想いを馳せることの大切さ」というニュアンスで質問を捉えると、その理由は複数言えるかなぁ。

カウンセリングを受けて、目からうろこが落ちるような気づきでした。

自己主張で頭がいっぱい

振り返ると質問されたとき、僕の頭いっぱいに広がったのは「重要」という言葉、そして学生時代の僕にとって興味がなかった『歴史』という科目が、理系が好きだった僕にとっては重要ではないと言いたい感情に囚われてしまっていたようです。

「重要である」と答えるには受験科目だから仕方ないと答えるしかなかったみたい。

質問されたことはは「一般的に」なのに、僕の答えは「僕にとっては」と主語を自分に置いたうえでの自己主張になってしまっている。

この事例はほんの一例で、その後気づかされる数多くの事例でも、暗黙に主語を「僕は」にしてしまうことがとても多いという事がわかって行きました。

僕には「相手にとってどうなのか?一般的にどうなのか?」と考えにくいのです。

そして次に続くのが

「僕の考えを聞いて、解って、受け入れて」という自己主張。

もし聞いてくれない、解ってくれない、受け入れてくれないとなると感情的になって言葉が荒くなり喧嘩に向かっていきます。

ASDだからなのかは別にしても、この検査全般に現れた僕の性格の特徴の一つとして指摘されたのは「自分の思い込みや解釈、認識の仕方が、自分の経験や価値観で取りやすい」という事でした。

そうだったんだ。

【僕への教訓】

質問されたら、愚直にその答えとして自分の言いたいことをいうことばかりが誠実なこととは言えないかも、「あなたは」なぜそれを聞いてくるのかな?何を思っているのかな?どうして欲しいのかな?

答える前に、主語をあなたにして一度考えてみよう。僕の気持ではなく、相手の気持ちに近づくために